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「母国と祖国」
 娘達が外地で暮らすようになったのは父親の転勤のためである。長女は年頃になり縁あって当地で結婚した。その若夫婦に子供が出来た。私達の初孫である。
 生まれるとすぐに長女から幼児語の使用禁止令がでた。日本ではないので日本語=幼児語とならないようにとのことらしい。数年後には心して孫と遊ばねばならないだろう。

 そこでふっと考えた。孫にとって日本とは何だろうか。日本語とは何だろうか。母国か祖国か、それともアジアの一国か。母国語であろうか、外国語でしかないだろうか。
 アメリカで生まれ育ったある中国人(本人がそう言っている)はご夫婦間ではもちろん、これもアメリカ生まれの彼らの娘達にも家庭内では中国語しか使わないし、使わせないと言っていた。これは自分が中国人であると認識するためでもあると言う。

 私や家内、娘達にとって日本はまぎれもなく「我々を生んでくれた母なる国、母国」である。日本の国を誇りに思うし、日本国籍を離脱したいとも思わない。しかし、孫にとって日本とは何だろうか。
 手元にある三省堂の国語辞典によると「母国」とは「(外国に居住する人にとって)自分が生まれた国」とあり、「祖国」は「祖先以来住んでいる自分の国。母国」となっている。
 「母国」の説明には納得できるが「祖国」にはなんとなくしっくり来ないのは私だけだろうか。念のため「祖」とは「祖父のこと」とあった。

 いとこがまだ小学生のころ、「伯父さんが子供のころに電気機関車はあったか」と聞かれたことがある。大学に合格し叔母の家にやっかいになっていた時で従弟とは10歳ほどしか違わないのにである。推し量るまでもないが私達もそうであったように孫(達)も自分(達)の父母の生まれた頃のこと、ましてや祖父母つまり私達が生きていた頃のことなどは平安時代や江戸時代と同列に歴史上のことでしかないであろう。これは平安時代や江戸時代のことを学べばの話であるが。これから先、孫子(まごこ)の時代にあの「二つの祖国」の二の舞にならぬように願いたいものである。

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