スペイン語で、中国人の男性のことを「チノ」、女性の場合は「チナ」という。観光でコスタリカに数日滞在しただけの人でも、街を歩いていて「チナ」「チノ」とすれちがいざまに意味無く言われた経験が一度や二度はあるのではないだろうか。
住んでいるとこの頻度は高い。道を歩いた時、スクールバスに乗っている小学生ぐらいの子供たちがわざわざ窓から顔を出し、私に向かって「チナ〜」と大声で叫んできたことがある。また、友人家族と国内ツアーを利用した時のこと。同じバスに、メイドを連れたコスタリカ人の家族と乗り合わせた。メイドを同伴するくらいだから、それなりの家庭だと思うのだが・・・。 友人がその子供にキャンディーをあげたら、そのメイドが「Gracias , Chinaありがとう、チナ」とわざわざ「チナ」を付けたので、「Somos japoneses 私達は日本人です」と言ったら、その主人の方が「Lo mismo 同じことだ!」と、笑いながら大声で叫んだのです。その一言が、いかに自分の教養の無さを表しているのか知る由も無いだろうが。
親や大人がそうなのだから、道端で小さな子供がアジア人を見ると、何気なく「チナ」「チノ」と言うのは普通の習慣になっているのだろう。彼らにしてみれば、中国、日本、韓国、台湾など、アジア系は全てChino=チノなのだ。
一方で、こんなこともある。タクシーを頻繁に利用していた頃、運転手に良く質問されたのが、「Usted es China?中国人か?」だ。「No, soy japonesa.いいえ、日本人です」と言うと、ガラッと態度が変わる人が多かった。「日本はすごいね。」と、いくつか知っている日本の企業名を挙げ、技術の素晴らしさを誉めてくれたりする。また、「日本人は綺麗だ」とか。私が美しいと言ってくれた訳ではないけど。
ここで私は複雑な気持ちになる。アジア人である私達を「チナ」と、明らかにアジア人蔑視と思える言い方に腹ただしさを覚えるのに、「日本人」の一言で相手の態度が好意的になることを知って、敢えて「japonesa」と言っている自分がそこにいる。
そして、コスタリカのサッカーナショナルチームが、ワールドカップ出場を決めた。普段、チノ、チナと言っている人が多い中、「Vamos a Japon y Corea. 日本と韓国へ行こう」と一気に盛り上がったその日、車を運転している私の前を、数人の高校生ぐらいの青年が道路をふさいで歩いていた。しばらく徐行して待ってみたが、一向にどいてくれないのでクラクションを鳴らしたその直後、私に向かって、お決まりの「チナ〜!」。
そんな調子で、コスタリカがワールドカップ出場で盛り上がる中、毅然と立ち上がった一人のアジア人女性がいた。
つづく |