生まれ育ったその村に十間(ジュッケン)道路と名づけられた道があった。その道で野球や缶けりをして遊んだ。この道路の両側に桜が植えられており木と木のあいだが十間あり、十間道路と呼ばれたと聞いた。距離はおおよそ3キロの桜並木であった。学校はこの道路に沿ってあったので、12年間毎朝ここを通ったことになる。
お下がり中古のランドセルを背負っての入学式。式のあとランドセルは母親に持たせ、悪童仲間とこの十間道路を帰った時、桜は八分咲きだった記憶がある。そして、次の日から隊列を組んで正門を入ることを教わった。ある朝、寝坊助の私は隊列行進に間に合わず一人で校門まで行ったが、六年生の週番門衛が入れてくれなかった記憶もある。その隊列行進も一学期で終わってしまった。
毎年桜花が満開のころ写生会が行われるのだが木の枝切れを花にめがけて投げ、花びらを散らせては悪童達と喜んでいたと後年同窓会でばらされた。
概して日本人は何処の国へ行っても桜と富士山を創造するようだ。望郷の念からだろうか。グァテマラ富士やペルー富士があると聞いた。世界にいくつ富士山や桜があるのだろうか。ここコスタリカにも「フジ」「サクラ」以外に、コスタリカ桜があると伺った。その桜がどんなふうか見たいと思っていたら、思いがけなく近くのゴルフ場にあった。遠目で見ると枝ぶりといい、花びらの色といい、花の付きかたが桜そっくりである。正にコスタリカ桜である。この木のスペイン語名を聞いたのだが、「草原の貴婦人」とか言うらしい。定かではない(誰かご教示を)。来年はあそこの下でお花見をとか、夜桜見物だとか話しつつ近づいてみて驚いた。花ビラが桜と似ても似つかない容姿であった。ニセ桜も遠くから見ると本物に見える。
夜目遠目傘の内は御婦人だけの専売特許かと思っていたが、コスタリカにもあったのだ。どおりで「貴婦人」の名前がついていると思った。 |